令和8年7月号は「限りなき恩恵に生かされて」と題し、日々当たり前と思っていることの中にある「恩恵」と「感謝」について綴っております。

蝉しぐれが神宮の杜いっぱいに響き渡る頃となりました。神域の緑がひときわ深みを増し、照りつける陽光に盛夏の訪れを感じますが、宇治橋のたもとを流れる五十鈴川を渡る風は涼やかで、参拝する人々の心を静かに和ませてくれます。

今年四月、名古屋市の株式会社ラクネット様の創立二十周年記念式典にお招きいただきました。同社は、お客様の車を目的地までお届けする自走陸送業を営んでおられます。その折、代表取締役の近靖彦さんが、会社の歩みをお話しされました。会社設立間もなく重大事故やリーマンショックによる売上の激減、信頼していた方との苦い別れなど、苦難が次々と重なったそうです。

そのような苦境の中、経営の師から「伊勢神宮に参拝しよう」と誘われ「感謝できることを十個考えてきなさい」と宿題を出されました。しかし、当日になっても、事故のこと、仕事のこと、お金のことが頭を離れず、感謝できることなど何一つ思い浮かばないお気持ちだったといいます。

ところが宇治橋を渡って参道を歩いている内に、「歩ける。見える。聞こえる。話せる。運転ができる。社員がいる。家族がいる。」──当たり前と思っていたことが、実はすべて与えていただいている恵みであることに気づかれました。そして、「平和な日本に生まれ、伊勢神宮に参拝できること自体がどれほど有り難いことだろう」と深く感じられたそうです。そのお話を伺い、人生を豊かにする第一歩は、すでに与えていただいている恵みに気づくことなのだと、改めて教えていただいたような思いがし、大変深く感銘を受けました。

社会教育団体・修養団の創立者である蓮沼門三先生は、著書『道のひかり』の中で「つかるるものよその重荷おもにおろせ。かなしむものよそのなみだぬぐえ。嬰児みどりごはは乳房ちぶさむごとく、恩恵めぐみなかいことき、ああ現世げんせ楽園らくえんなり、歓喜かんきてる浄土じょうどなり。だいなる清福せいふくだいなる慰安いあんとはつねにすべてのひとり」と述べています。

二宮尊徳翁もまた『二宮翁夜話にのみやおうやわ』の中で「食べるものにも事欠くようになると、明日はどうなるのかという不安に人は心を奪われ、台所に積まれた釜や膳、椀を洗う気力さえ失ってしまう。明日の心配ばかりに心を奪われ、今日までのご恩を忘れてしまうことこそが、困窮がその身を離れない根源なのだ。釜や膳を洗うのは明日食べるためではなく、今日まで命をつないでくれた食事への感謝、そのご恩を忘れないためである」と例え話を用いて説いています。今日まで生かされてきたことへの感謝を忘れず、そのご恩に報いようとする心こそが天の道にかない、人生を切り拓く力となることを、尊徳翁は伝えています。

私たちは日頃、大きな苦しみや深い悲しみに遭遇すると、ついそのことに心を奪われてしまいがちです。しかし、今与えていただいている恵みに気づくことがまず大切なことで、そこに目を向けた時、おのずと感謝の心が生まれ、生かされていることへの喜びも深まっていくように感じます。

七月は夏越なごしはらえの季節です。一年の前半を無事に過ごせたことへの感謝を捧げ、知らず知らずのうちに積もった心の曇りを祓い清める節目でもあります。私たちもまた、限りなき恩恵に生かされていることへの感謝を忘れることなく、心新たに残る半年を歩んでまいりたいものです。

伊勢便り 令和八年七月号「限りなき恩恵に生かされて」誌面
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